過去

 

 

私が出会ったのは2012年の8月でした。

あんなに簡単に落ちると思ってなかった。

私があなたをはじめて見た印象が

「なにこの芋っぽいこ」 でした。

ここからだんだん好きになって、

この当時はこんなにあなたの担当をしていて苦しめられるなんて思ってもなかった。

人気も知名度もなかったからこそ

私はなにかしたいなって思って

私なりに会いに行ったしグッズも買ってた。

 

だんだん人気が出てきてちょっとずつ

距離を感じはじめたのが2013年でした。

でも私はKin Kanでいてくれるって信じてた。

まいジャニメンバーでいてくれるって。

だんだん東京に行くようになって

DREAM BOYSぐらいかな、

だんだんなにきんが崩れ始めたのは。

 

金内柊真って存在がいなくなったのも

私には大きかった。

ずっと表には出てきてなくて辞めちゃうのかなって思ってたら春いてくれたから安心してた。

それと同時に永瀬は関西平野はバックにつくってバラバラになってて辛かった。

私はこの年に春が嫌いになった。

関西に帰ってきてくれるって信じてた。

 

Mr.KingVSMr.Princeを組んだ時

平野の口から期間限定って言ってくれたよね?

私はそれを信じてた。

サマステを期間限定で盛り上げるだけって、

それが終わればまた関西に帰ってきてくれるって、

でもMr.KINGとPrinceにわかれて活動した、

私にとって悪夢が正夢になった感じでした。

 

私は毎年夏が憂鬱に感じてた、

そんな時私は担降りしようと必死に頑張ってた。

無理にでも嫌いになって離れるべきって。

 

私にとって最後にしようと思った現場が

JOHNNYS' Future Worldでした。

関西と一緒にまた仕事してくれる。

それだけが私の希望でした。

本当にステージの真ん中で必死に頑張ってる姿をみて思わず泣いた。

関東の平野には会いにいかないって決めて

苦しくて悲しくてしんどかった。

でも平野の方が苦しかったよね。

突然東京に行ってたくさん先輩もいる中で

ジュニアのセンターにたって、

責任感もプレッシャーも私にはわからないぐらい悩んで苦しんだんだよね、

それがジャニフワで痛いぐらい伝わった。

 

そこからちょっとでも髙橋海人をMr.KINGを受け入れようって認める努力をしようって思うようにした。

関東の会場にいっても平野担ってだけで悪口言われたりいいようには思われへん。

関西の友達を作っても裏切り者って言われることも少なくはなかった。

関西時代から応援してた私には居場所なんてなかった。

それでもきっと平野の方が苦しんで悲しくて辛い思いたくさんしてきたよね。

私がこんな所でへこたれてたらダメ。

そう思えるようになった。

平野担をして私は強くなった。