なにわ男子

 

なにきんとFunky8について書きます。

 

今回の関西の新ユニット『なにわ男子』

私は素直に応援できません。

関西を裏切った平野紫耀の担当をしてる人に

こんなこと言われたくないかもですけど

西畑くんと流星くんとじーこにはずっとずっと

一緒にやっていって欲しかった。

6人でいたなにきんが最高だったし好きでした。

しょうれんがいなくなった関西を支えてまた明るくしてくれたのは間違いなく3人。

一緒に苦しんで悲しみを共有して支えあってきた3人をバラバラにして欲しくなかった。

なんで向井康二を外したの?

金内柊真っていう相方がやめて弟のように可愛がってくれた平野紫耀まで関西からいなくなった。

周りを見ればかつての仲間も辞めていて

それでもアイドルとして続けてくれた。

ジャニーズWESTがデビューした時も

同期や後輩がデビューした時もそうやった。

表ではおめでとうって言ってくれた。

でもきっと悔しかったよね。

きっとたくさん泣いたよね。

なのにどうしてこんな事するの?

お願い。

もうこれ以上向井康二をひとりにしないで。

もうこれ以上向井康二を苦しめないで。

十分に苦しんで悲しんで辛い思いをして壁を

のりこえてきたよね??

お願いやから。

きっとじーこは優しいからみんなにおめでとうって言ってるんだと思う。

1人で泣かないで?1人で苦しまないで?

私は何があっても向井康二くんの味方です。

 

そして非公式だったけどFunky8が大好きでした。

私はもう降りちゃったけど平野と掛け持ちで

末澤担をしていました。

去年の12月24日クリスマスイブの日に降りました。

優馬くんのバックで舞い、恋を踊る末澤誠也くんに惚れました。

大橋和也 朝田淳弥  林真鳥  古謝那伊留 

草間リチャード敬太 末澤誠也 今江大地

藤原丈一郎 この8人で歌って踊ってる姿が大好きでした。

末澤担をしてた期間は平野と比べたら圧倒的に短かったけど私は濃い時間を過ごしたよ。

カメラ負けしたり最前でゼロズレなのにフル無視されたり花道横にいても私に気づいてくれなかったり笑笑

でも末が歌って踊ってる姿ってすごく大好きでした。

儚くてでも芯が通ってて見てて美しいなって思った。

表現力がすごくてかっこよくて可愛くてチビで派手髪が似合ってて距離感近くてロマンチストであざとくて人たらしで声が高くてツッコミ担当で努力家で負けず嫌いで、

あげたらキリがないほどたっくさんある。

元々7人で活動してたのにそこに末が入って

Funky8になったよね、

きっと最初はやりにくかったよね、

でも末の人たらし効果で私はFunky8が大好きでした。

どんどん人気になっていって辛かったけど

屋良くんが末澤誠也って存在を見つけてなかったら私はきっと末澤誠也を担当することはなかったと思う。

松竹座も梅芸もクリエも横アリも城ホもたくさんたくさん思い出があります。

私が末澤誠也って存在に惚れてよかった。

たくさん嫌な思いもした。

私の周りに末のやらかしをしていた人がいてたくさん嫌がらせもされた。

ものがなくなるのもよくあったし変な噂流されたり常に私の行動を監視されてた。

たくさんたくさん泣いたし辛い思いもした。

辛くても逃げずにたたかう。

そう決めたのに降りてごめんね。

降りるって決めたのにも半年かかって悩んでる間は毎日泣いて毎日苦しんで誰かに心配かけてしか生きれなかった。

末澤誠也を担当して最後の現場がDOG FIGHTでした。

最後はFunky8の現場が良かったなって思ってたけどそれでもクリエに行った、

見送ってくれた友達がいて泣きながらファンレターだって書いた。

すえは12月24日が私の末澤担人生の最後ってわかってたのかな?

そう錯覚するぐらい末は私を見てくれてし

あの言葉をくれた。

泣きながら夜行バスにのって周りの目なんか気にもしなかった。

『これからもずっと応援よろしくね?』

ねえ最後ってわかってたのかな、

大阪公演で確かに12月24日の席書いたしその日が最後にするって書いたよ?

読んでくれたのかな?

でも嬉しかった。

私は末澤担を降りたけど私なりに末澤誠也

会いに行こうって決めたし私なりに末澤誠也を応援していこうって決めた。

またあの8人でのパフォーマンスがみたい。

ずっと公式になるのを願ってた。

非公式でも負けずに諦めなかった。

雑誌で8人を見ると嬉しくて泣いてた。

なのに藤原丈一郎 大橋和也がなにわ男子に引き抜かれた。

もうFunkyには戻らないんだよね。

あの8人で作る空気感がステージが大好きでした。

ありがとう。

なにきんみたいに自然解散がすごく悔しい。

いいグループだったのにな。

末澤誠也に惚れて良かった。

私に出逢ってくれて惚れさせてくれてありがとう。

私の中でFunky8は永遠に輝いています。

素敵な思い出をくれてありがとう。

それぞれみんなが輝ける未来が

関西ジュニアに明るい光がさすことを願って。

 

 

感謝

 

 

最近私は友達に支えられてるなって

思う瞬間が多いです。

辛い辞めたい死にたい、よくそう思います。

でもその度に自分のように一緒に悩んで

苦しんでくれる人がいるって素敵だなって、

オタ卒をすすめられたり違うところに

浮気したりすることをすすめられるけど

結局誰を見ても何してても平野がいいなって、

結局戻ってくる場所はここなんだなって、

改めて思いました!

 

DREAM BOYS 少年たち無事に初日を

迎えることが出来て私も嬉しく思います!

担当はいないけど何となく思い入れのある

作品だしドリボは平野もお世話になったから。

無事に千秋楽を迎えれることを願ってます。

ツアー

 

 

先日平野くんの地元公演に行ってきました。

デビューして地元でのコンサートが出来るって

きっと幸せだったんだろうなって。

見てて噛み締めて歌ってる姿とか私まで泣きそうになりました。

挨拶でも噛み締めてデビューして地元に帰ってこれたことへの喜びを語っていて、私も嬉しかった。

でも横にいるこれからを共にする仲間が

永瀬廉 高橋海人 神宮寺勇太 岸優太 岩橋玄樹

なにもみんなは悪くない。

ダメって言いたいわけじゃない。

それぞれに努力してきたし苦しんで悩んでもがいてきたからこそデビューがあったと思うしみんなそれぞれにすごいところもいっぱいあって全員素敵だなって思う。

でもね、関西から応援してきた私はこの景色を

向井康二 永瀬廉 西畑大吾 大西流星

あわよくば金内柊真の6人で見たかった。

同じ6人でも違うんだなって、

やっぱりなにきんでのデビューを望んでた私にとって悪夢であった1月17日と5月23日。

横浜初日もお邪魔した時やっぱり泣いた。

オープニング映像から出てきて私はずっと泣いてた。

横浜公演も大阪公演も名古屋公演も。

ずっと思うことは同じでした。

やっぱり何かが違う。

それでもこれが現実なんだって。

 

私には平野しかいない。平野しかいらない。

私の人生は平野紫耀を中心に回ってる。

でもこのグループを好きになれる自信が無い。

グループを好きになれないのに応援してていいのかな。

こんな気持ちが芽生えました。

まだまだ私も今のツアーに行くけど複雑な気持ちになります。

やっぱりなにきんは素敵すぎた。

Kin Kanなにわ皇子はほんとにいいグループでした。

私の中でKin Kanをこえるグループは二度とあらわれないと思う。

そろそろ過去にしないとダメだよね。

なにきんは最高のグループだったよね!

あの時は楽しかった!でも今の方が楽しい!

そう思えるようにならなきゃ。

何年何十年かかってでも受け止めなきゃ。

平野が先陣切って動き出してデビューしたグループ。

これが平野の歩みたい道。

これが平野の思い描いた未来。

私とっては絶望だけど平野にとっては希望でしかない。

誰かにとっては暗闇であっても誰かにとっては夢で満ち溢れている。

きっと私はこれからも苦しみ続けるのかな、

でもどんだけ苦しんでも悲しんでも傷ついても平野の方が何倍も苦しくて辛くて悲しい思いしてきたから。

私なんて比べものにならない。

現実は辛いことだらけ、

それでも頑張って生きなきゃ。

 

過去

 

 

私が出会ったのは2012年の8月でした。

あんなに簡単に落ちると思ってなかった。

私があなたをはじめて見た印象が

「なにこの芋っぽいこ」 でした。

ここからだんだん好きになって、

この当時はこんなにあなたの担当をしていて苦しめられるなんて思ってもなかった。

人気も知名度もなかったからこそ

私はなにかしたいなって思って

私なりに会いに行ったしグッズも買ってた。

 

だんだん人気が出てきてちょっとずつ

距離を感じはじめたのが2013年でした。

でも私はKin Kanでいてくれるって信じてた。

まいジャニメンバーでいてくれるって。

だんだん東京に行くようになって

DREAM BOYSぐらいかな、

だんだんなにきんが崩れ始めたのは。

 

金内柊真って存在がいなくなったのも

私には大きかった。

ずっと表には出てきてなくて辞めちゃうのかなって思ってたら春いてくれたから安心してた。

それと同時に永瀬は関西平野はバックにつくってバラバラになってて辛かった。

私はこの年に春が嫌いになった。

関西に帰ってきてくれるって信じてた。

 

Mr.KingVSMr.Princeを組んだ時

平野の口から期間限定って言ってくれたよね?

私はそれを信じてた。

サマステを期間限定で盛り上げるだけって、

それが終わればまた関西に帰ってきてくれるって、

でもMr.KINGとPrinceにわかれて活動した、

私にとって悪夢が正夢になった感じでした。

 

私は毎年夏が憂鬱に感じてた、

そんな時私は担降りしようと必死に頑張ってた。

無理にでも嫌いになって離れるべきって。

 

私にとって最後にしようと思った現場が

JOHNNYS' Future Worldでした。

関西と一緒にまた仕事してくれる。

それだけが私の希望でした。

本当にステージの真ん中で必死に頑張ってる姿をみて思わず泣いた。

関東の平野には会いにいかないって決めて

苦しくて悲しくてしんどかった。

でも平野の方が苦しかったよね。

突然東京に行ってたくさん先輩もいる中で

ジュニアのセンターにたって、

責任感もプレッシャーも私にはわからないぐらい悩んで苦しんだんだよね、

それがジャニフワで痛いぐらい伝わった。

 

そこからちょっとでも髙橋海人をMr.KINGを受け入れようって認める努力をしようって思うようにした。

関東の会場にいっても平野担ってだけで悪口言われたりいいようには思われへん。

関西の友達を作っても裏切り者って言われることも少なくはなかった。

関西時代から応援してた私には居場所なんてなかった。

それでもきっと平野の方が苦しんで悲しくて辛い思いたくさんしてきたよね。

私がこんな所でへこたれてたらダメ。

そう思えるようになった。

平野担をして私は強くなった。

 

 

 

はじめまして

 

 

私なりに文字にして残していきたいって

思ったのでブログを書いてみようと

思いました。

 

楽しかったり嬉しかったり感動したり

苦しかったりもがいたり悲しんだり

色んなことをここに残したいなって

思ってます。

 

私なりにゆっくりと更新していきます!